「新反動主義」Part. 4: 先駆・影響
ヤーヴィンに影響を与えたもの
オーストリア学派の経済学者で、政治思想家。
新反動主義の先駆とされる重要思想家であり、ほぼヤーヴィンの元ネタと言える。
Hoppeはヤーヴィンに先立ち、「国民の財産権をより保証するのはどちらか?」というリバタリアニズムによる評価基準から、君主制と民主制を比較。
民主制を批判し、君主制の方が望ましいと結論した思想家。
君主制は私的に所有された政府、民主制は公有された政府とモデル化した上で分析を行う。
ハンス・ハーマン・ホップはリバタリアンだが、自由至上主義というより私有財産権至上主義という感じ。
たとえばホップはすべての土地を私有地化するべきとするが、その私有地上では言論の自由よりも土地所有者の意思が優先される。
ホップの社会文化軸における思想は、差別的で伝統主義的なものであり、極右と親和的とされる。
この極右 + リバタリアン融合は、ヤーヴィンの立ち位置に近い。
(ここは哲学の人向けの話) ホップは、ハーバーマスのもとで学んだらしい
――― ハーバーマスは、あなたの思考に、どんな肯定的な影響を持ちましたか?
彼から悪い影響もありますか?
Hans-Hermann Hoppe
ハーバーマスは、1968年から1974年まで、ドイツのゲーテ大学フランクフルト・アム・マインで、
私が勉強中に、私の主要な哲学の教師であり、Ph.D.アドバイザーでした。
彼のセミナーを通して、私は、英国とアメリカの分析哲学に精通するようになりました。
K. ポパー、P. ファイヤアーベント、L. ウィトゲンシュタイン、
G. ライル、J.L. オースティン、J. サール、W.v.O. クワイン、
H. パトナム、N. チョムスキー、J. ピアジェを読みました。
ポール・ローレンツェン〔ゲーム意味論の人〕とエルランゲン学派、そして、K.O. アペル〔超越論的語用論、討議倫理学〕の著作を発見しました。
私は、それは、かなり良い知的訓練だったと、いまも信じています。
個人的にであれば、私は、後悔していません。
しかし、ドイツとドイツの世論に対するハーバーマスの影響に関しては、
それは、少なくとも、リバタリアニズムの観点からは、紛れもない災難でした。
ハーバーマスは、こんにちのドイツの最も名高い公的知識人であり、
「政治的正しさ」の大司祭です。
社会民主制と福祉-国家統制主義の。
多文化主義の。
反差別(アファーマティブ・アクション)の。
特にドイツ人消費向けの、多量の「反ファシスト」のレトリックと、
「集団的有罪」の売り込みを持った、政治の中央集権化のスパイスの効いた。
ハーバーマスとカール・オットー・アーペルに影響を受けたリバタリアニズムの討議倫理学的正当化とかもしてるっぽい
反民主主義者でもポピュリズム戦略を使いたい!
https://www.youtube.com/watch?v=TICdCM4j7x8
上の動画の聞き取りが正しければ、ホップはヤーヴィンを個人的に知っている?
以下にヤーヴィンに参照されている思想家をあげたけど、ちょっと読んだ感じだと、あまり実りがなかった。
人文よりすぎてayu-mushi.iconの性に合わない。
長い。
ヤーヴィンの思想との関係が不明。
ヤーヴィンは、以下の、王政主義者で反動主義者を自認するErik von Kuehnelt-Leddihnなどを彼のフォーマリズムの先駆としてあげている。
〔After insisting that the demand for liberty is about how to govern…〕
自由が要求するのは国をどう統治するかであって誰が統治するかなどではないと強調した上で、かれは君主制の政府はこの意味で自由主義的であるが、民主制は自然に――強制によってでも――平等を唱え、それゆえに自由でなくなる、という彼の主張を支持する議論を示した。
レディンは、王政は(王族の国際結婚などを通して)インターナショナルな協力を進めるものであり、一方民主主義はナショナリズムを伴うもであると考えている。このことは、初期のヤーヴィンの反ナショナリズムに影響しているかも。
レディンはカトリックであり、左翼をプロテスタント由来とする。これもヤーヴィンの主張 (ニューディールなどの左派リベラルはカルヴァン派・ピューリタン・クエーカーに由来する) と近い。
ベルトラン・ド・ジュヴネル『権力論』
ジェームズ・バーナムの リベラル-保守-反動 テスト。
ヤーヴィンの脳内にある政治スペクトラム(左右軸)に近い問いになっているのではないか (Burnhamのテストにおいて、冷戦やマッカーシズム項目があるのは、時代を反映したものだけれど)
モスカ、ミヒェルズ、パレートなどのイタリアエリート論者の紹介
バーナムは現代アメリカ保守主義運動の初期の人物
〔 I happen to own a copy of James Burnham’s The Managerial Revolution, a now-forgotten 1941 book that was for a time hugely influential. …〕
私はたまたま The Managerial Revolution の一冊を持っている。これは James Burnham による1941年の著作で、今ではほとんど忘れられているが、当時は非常に大きな影響力を持っていた本である。
その本は、共産主義とファシズムの台頭をいずれも、資本主義がより効率的な「管理者国家(managerial state)」へと不可避的に置き換えられていく過程の一部として捉えようとした。
バーナムは自由市場経済を攻撃したわけではない。
彼はただ、それがいずれ滅びる運命にあると考え、それに反対する者たちを単純で世間知らずだと見なしていた。
@RichardHanania: I also discuss the books I've read. I finally read James Burnham and found him very overrated. I guess because he talked about a "managerial elite" and now we have a bunch of bureaucrats in suits, he predicted the future? His predictions and analysis were wrong though. 私は記事中で読んだ本についても話している。
ついに James Burnham を読んだが、彼はかなり過大評価されていると感じた。
たぶん彼が「管理エリート(managerial elite)」について語っていて、今の時代にはスーツ姿の官僚たちがたくさんいるから、「未来を予言した」ことにされているのだろう。
でも、彼の予測も分析も間違っていた。
https://pbs.twimg.com/media/FkHlFQJVQAAaoc7.png
To understand the American administrative state, it’s better to read a textbook used by law students today than Aristotle or even Burnham (please don’t get me started on the uselessness of Burnham).
アメリカの行政国家(administrative state)を理解したいなら、Aristotle や James Burnham を読むよりも、今の法科大学院生が使っている教科書を読むほうがよい(Burnham の役立たなさについて語り出すと長くなるので、ここではやめておくが)。
バーナムはもともとトロツキストのマルクス主義者だったが、ソビエトにおける共産主義革命は労働者による政権ではなく、経営者 manager, managerial elite による統治に向かっていると考えた。そして、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策もこれと同じく ブルジョア資本主義から manager による統治への移行を進めるものと考えた。
(株式会社における所有と経営の分離により、従来の資本家階級とは異なる経営者階級が現れた? 経営者は従来の資本家と違って政府介入に好意的? あんまそんな感じはしないけどねー。managerは文字通りの会社の経営者だけでなく、政府の公務員なども含むっぽい。)
自然権や個人主義といった資本家支配階級の政治的・経済的利益を正当化するイデオロギーに代わり、manager の支配を正当化するイデオロギーとして20世紀のレーニン・スターリン主義、ファシズム、アメリカにおいてはテクノクラシーとニューディール主義が台頭したと考えた。(ここまではManagerial Revolution)
バーナムはイタリア・エリート学派のガエターノ・モスカからエリートの支配を正当化する political formula という概念を取り入れ、それがヤーヴィンにも影響しているが、バーナムはもともとマルクス主義者なので、マルクスのイデオロギー論とも関係するかも? (Machiavellian)
〔A doctrine that was common to most of the Machiavellians and which Burnham emphasized was the concept of what Mosca called the "political formula," Pareto called "derivations," and Sorel called "myths."…〕
マキャヴェリ主義者たちの多くに共通し、また James Burnham が強調した教義のひとつに、Gaetano Mosca が「政治的公式(political formula)」、Vilfredo Pareto が「派生物(derivations)」、Georges Sorel が「神話(myths)」と呼んだ概念がある。
これらの思想家によれば、エリートは単に暴力や威嚇によって権力を保持しているのではない。
彼らは、自らの支配を合理化し、あるいは正当化するための教義を作り上げ、それを論理的・道徳的・神学的・哲学的な言葉で提示するのである。
この Populist Delusion の考えとヤーヴィンの考えは、社会はエリートに支配されていると考える点では同じだけど、これは団結力の強い組織の力を強調してるのに対し、ヤーヴィンは大学という、組織化の度合いとしては弱い組織も支配階級の一員に加えてる。
Populist Delusionの考えは「組織化された100人は無秩序な1000人より強い」という話だけど、学術研究者というのは大して組織化されてる印象がない。通常の組織のような命令系統がない。というか、現代社会の支配階層の組織化されてなさをむしろヤーヴィンは問題視している。これはPopulist Delusion, ガエダーノ・モスカの話とは違うようだ。
The domination of an organized minority … over the unorganized majority is inevitable. The power of any minority is irresistible as against each single individual in the majority, who stands alone before the totality of the organized minority. At the same time, the minority is organized for the very reason that it is a minority. -- Gaetano Mosca (1939, 53).
組織化された少数者が、組織化されていない多数者を支配すること――これは不可避である。
少数者の権力は、多数派の中のいかなる個々人に対しても抗いがたい。なぜなら、その個人は、組織化された少数者の全体を前にして孤立しているからだ。
同時に、その少数者が組織化されているのは、まさに少数者であるがゆえでもある。
—— Gaetano Mosca(1939, p.53)
〔Since the reality of political history is that all polities of nontrivial size are controlled by organized minorities, all nontrivial democracies are pseudo-democracies … 〕
政治史の現実として、ある程度以上の規模を持つあらゆる政治体制は組織化された少数者によって支配されているのだから、相応の規模を持つ民主政はすべて疑似民主政(pseudo-democracy)である。
とはいえ、それらは同じではない。というのも、組織化された少数者はそれぞれ異なるからだ。
民主主義の装いをまとったあらゆる政府は救いがたいほど腐敗しているが、20世紀の疑似民主政体制は大まかに二つの類型に分けられる。すなわち、寡頭制的(共産主義的・非人格的)なものと、専制的(ファシズム的・人格的)なものだ。
どちらを好むかは、全能の政治家に支配されたいか、それとも顔の見えない機械に支配されたいか、という好みの問題にすぎない。
アメリカ政府(USG)やその他の現代の主要政府を分類することに困難はない――それらはすべて寡頭制である。
ここでは、ヤーヴィンも、社会は組織化された少数の者たちによって支配されると言ってるけど
さらに、イタリアエリート学派によれば、君主制とされるものも本当は寡頭制で、すべての政体は寡頭政治なのだが、ヤーヴィンは1人の人間が実権を握ることは可能だとしている気がする。
主張に含まれる原理を正確に追跡し、その正しさを検討することより、主張を権力と影響力を巡る闘争の道具と見做すことを奨励する態度。
『政治哲学史講義』でロールズはこうした態度をとる者を「冷笑家」と呼び、そのやり口は寄生的だと説く。
In fact, what we are often confronted with today is nothing less than a potential legal war of all against all, carried on by way of legislation and representation.
実際、今日われわれがしばしば直面しているのは、まさに万人の万人に対する法的戦争になりうるものにほかならず、それは立法と代表制という手段を通じて遂行されているのである。
Leoniの考えは、ヤーヴィンの、メディアによる世論の統一化がない本来の民主主義は内戦、限定戦争であるという見方に影響してそう?
法的確実性、予見可能性のような論点があるっぽい(読んでない)。そこがフォーマリズムに影響してる?
Old Right (旧右派)、リバタリアン、ヘンリ・ジョージ主義 (全ての税を地税に一括) 者
アルバート・ジェイ・ノックは、以下のフランツ・オッペンハイマーの国家論を継承した
ノックはニューディールに反対したOld Rightの人間ではあるものの、ロックの労働所有権論とマルクスの搾取論の中間みたいな何かを主張しており、規範的側面においてはヤーヴィンとは対立してそう
国家や所有の本性に関する事実認識的な部分においては合致しているのかもしれない
具体的には、それなりに多くの財産権が国家によって与えられているものに過ぎず、本当に「己の労働を混ぜて」得たものではないから、不当であると主張している (Nock Our Enemy, State)
国家征服論
オッペンハイマーの国家論は、国家が税収を得るという経済的側面に注目する点でヤーヴィンに近いけれど
しかし、ちょっと見てみたところでは上に挙げられている人物の著作の中にフォーマリズムの先駆といえそうなものは見いだせなかった。むしろ、ハンス・ハーマン・ホップのほうがフォーマリズムの真のアイデア元なのではないだろうか (なぜホップの名が、参考にした人物にあがっていないのかが不思議です。コメント欄では言及しているのだけども)。
これは a formalist manifest で、法形式主義のリンクで挙げているもの
司法の「政治化」に対する反対
上のノックに影響を与えた人物
2つの階級: 〈正味の税消費者 "net tax-consumers" /正味の納税者 "net tax-payers"〉
オーストリア学派経済学者で、リバタリアニズムの理論家・活動家。リバタリアン運動の中心的人物とされる
主流派・ケインズ主義経済学への批判、連邦準備制度 (アメリカの中央銀行) への批判、金本位制の擁護、外交政策における孤立主義などヤーヴィンの立場に強い影響を与えていると思われる
また、ヤーヴィンがガチで傾倒していた思想家ということもあり、国家観にも影響を与えているし、ヤーヴィンが好きな他の思想家もロスバード経由で発見したっぽいところがある。
アメリカにおける福祉国家の拡大は "後千年王国的敬虔主義" (post-millennial pietism) の影響であると主張し、ヤーヴィンに影響を与えた
ロスバードは無政府資本主義を提唱したが、地主がルールを決めることを認めているため、ロスバードの無政府資本主義は、デイヴィッド・フリードマンの警備会社と契約するタイプの無政府資本主義よりもネオカメラリズムに近いかもしれない
イタリアエリート理論を援用しているようで、これはヤーヴィンが重視するジェームズ・バーナムと共通する
paleoconservativism
ロスバードは晩年、paleoconservatismと戦略的に連携していた。ヤーヴィンも外交における孤立主義や、移民に対する反対など、paleoconservative と共通するところがありそう。また、Managerial state - Wikipedia, anarcho-tyrannyというような認識も共通していそう (Paul Gottfried, Samuel Francis)。 The unremitting determination of its assaults on common sense is no accident, for as Mencken vividly maintained:
"…It is apprehended, not as a committee of citizens chosen to carry on the communal business of the whole population, but as a separate and autonomous corporation, mainly devoted to exploiting the population for the benefit of its own members…"
その常識に対する絶え間ない攻撃が偶然ではないことは明らかである。というのも、H. L. Mencken が鮮やかに述べたように、
「……それ(政府)は、共同体全体の事務を遂行するために選ばれた市民たちの委員会として理解されているのではない。むしろ、それ自体が独立した自律的な企業体であり、主として自らの構成員の利益のために住民を搾取することに専念しているものとして理解されているのである……」
ジョサイア・タッカー
ウォルター・リップマン
エリ・ケドゥウリー
大英帝国やオスマン帝国、オーストリア帝国は異なる民族の平和的共存をもたらしたとし、その後の民族主義的独立運動に反対。ヤーヴィンがしばしば植民地解放の血生臭さを語る話の、元ネタの一つか。
ヤーヴィンは、フリードリヒ2世の反マキャベリ論をなぜか褒めているが、フリードリヒ2世は全然ヤーヴィン的ではなく、むしろ、批判されているマキャベリの方がヤーヴィンに似ている。
法は主権者の命令である
デイヴィッド・ストーブ(David Stove)
一方、オーストラリアの哲学界では、ポパーさえ許さんデヴィッド・ストーブ先生などが居られる。
Scientific Irrationalism: Origins of a Postmodern Cult David C. Stove
Steve Sailer
ヤーヴィンが絶賛するジャーナリスト。
人間の生物学的多様性 (Human Biodiversity)、黒人と白人のIQ差。移民反対派。
哲学者のリチャード・ローティーに言及してる所、引用の仕方が不誠実では? butの後が引用されていない。これ譲歩構文みたいなものだからbutの後の方が重要でしょ。
〔To this day, most philosophers suffer from Plato’s disease…〕
今日に至るまで、多くの哲学者はプラトン病を患っている。つまり、現実は根本的に、言葉や幾何学によって最もよく記述される抽象的本質から成り立っている、という前提である。
(実際には、現実の大部分は確率論的な事柄であり、統計学によって記述されるのが適切である。)
今日のポストモダン哲学者たちは、科学・自然・真理そのものの存在を否定しているが、その大きな理由は、彼らが好む「平等」という言語的抽象概念が、人間の生物学的差異という粗野な統計的現実によって掘り崩されるからである。
哲学者 Richard Rorty は最近、The Atlantic にこう書いている。
「『同性愛者』『黒人』『女性』といったカテゴリーは、人間の避けがたい分類として見るべきではなく、むしろ害のほうが大きかった発明物として見るべきだ。」
したがって、ローティによれば、多くの脱構築主義者たちは「クォークや遺伝子ですら、おそらく発明物なのだ」とまで言い出す。
「女性」というカテゴリーが単なる社会的慣習にすぎないと信じるには、ローティほど著名な哲学者でなければならない。
脱構築主義とは、哲学者たちが「現実はプラトン的ではない」(たとえば、人種は拡大家族と同じく明確な境界を持たない)という事実に衝撃を受け、その結果、プラトニズムを捨てるのではなく、現実そのものを信じることをやめてしまった、その帰結なのである。
元の文と比較してみよう:
These philosophers can agree with the social constructionists that notions like "the homosexual" and "the Negro" and "the female" are best seen not as inevitable classifications of human beings but rather as inventions that have done more harm than good. But they are not sure that "X is a social construction" adds much to "talking about X is not inevitable, and there are probably better ways of talking."
これらの哲学者たちは、「同性愛者」「黒人」「女性」といった概念について、社会構築主義者たちに同意して、それらを人間の不可避的な分類として見るのではなく、むしろ害のほうが益より大きかった発明物として捉えることができる。
しかし彼らは、「Xは社会的構築物である」という言い方が、
「Xについてそう語ることは不可避ではなく、もっとよい語り方がたぶん存在する」
という以上の何かを付け加えているのかについては、確信していない。
"These philosophers can agree with the social constructionists that "という部分も抜けている。つまりローティが地の文ではなくthat節の中に書いたものを、ローティが直接言ったかのように引用しているってわけだ。
あと家族的類似性という概念をご存知でない? >Plato’s disease
Samuel Francis
白人ナショナリスト、paleoconservative
James Burnhamを肯定的に評価した。
Michael H. Hart
mtraven: Looks like just another iteration of the same old crap from people like Rushton, which has been thoroughly discredited all over the place, for instance here. here. I can’t see the point of recycling the same garbage over and over again. アルバート・ハーシュマン
Voice or Exit
発言、離脱、忠誠
ヤーヴィンはハーシュマンを読んでないらしいけど
植民地解放の残酷さを語るために、よくヤーヴィンが持ち出す映画
本作は、白人支配から脱して次々に独立、欧米風に変化していくアフリカをとらえた「ドキュメンタリー」である。ヤコペッティは別の映画のロケのためにアフリカに赴いていたのだそうだ。ところが、折しもの独立ラッシュの動乱に巻き込まれて、衝撃的な映像の数々をものにすることができた.....というのであるが、機を見るに敏なヤコペッティが英国植民地時代終焉の予兆を見逃す筈がない。この映画のシナリオは予め想定されていたのだと思われる。「悲惨美」を追求するヤコペッティにとっては、当時のアフリカはまさに「素材の宝庫」であったわけだが、驚くべきなのは、充実した素材を前にしてヤコペッティはなおも「やらせ」を撮り続けたことである。
…
やらせの極みは「ザンジバルにおけるアラブ人の大量虐殺」であろう。
この事件が現実にあったことは確かである。しかし、今日ではこの映像がやらせであることには異論がない。
実際に本編を見ると、おかしな点が多い。虐殺を逃れて海へと逃げるアラブ人。撮影隊はその姿をヘリコプターからとらえる。しかし、次のカットはその翌日に飛んでしまう。浜辺に累々と横たわる屍体の衝撃映像。凄まじい「悲惨美」であるが、肝心の虐殺シーンは何故かとらえられていない。このことは「虐殺シーンを再現するだけの予算がなかった」ということなのだと思われる。そして、屍体からは血が一滴も流れていない。スローモーションで確認したが、本当に一滴も流れていない。「血のりを使うと後で掃除が大変」とか、いろいろな事情があるのだろう。
本作の「野蛮を撮影する文明人こそ野蛮」というモチーフは、ドキュメンタリーを装ってさまざまなヤラセを行ってきた、グァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』などに代表されるモンド映画に対するセルフパロディともいえる。食人族 - Wikipedia トマス・カーライル
ヤーヴィンはカーライル論で日本の終身雇用制度をカーライルの奴隷制に類似したものと扱っていたけれども、日本の旧来的な会社ってカーライルの理想とする封建制に近い?
カーライルは封建制ではクビになることがないことを重視しているっぽい
黒人奴隷解放への批判
先駆
元ヘンリー・ジョージ主義者。私有コミュニティと競争に基づく無政府主義的な政体を提唱。(ヒース的アナキズム)
Spencer Heath MacCallum
スペンサー・ヒースの孫で、ヒースの理論を継承。
カール・ルードヴィッヒ・フォン・ハラー
家産国家論を支持し、マックス・ウェーバーに取り上げられたことで有名。
“Sovereigns (whether individual or corporate) rule by virtue of their own personal rights, and not delegated rights (jus proprio et non jure delegato).” - Karl Ludwig von Haller
これはTwitterで見つけた家産国家支持 アカウント!
フォーマリズム宣言のコメントにフォーマリズムに似た先行研究を紹介してる人が居た:
If you're going to talk about states as organizations with limited monopolies of force and as aggregations of contracts, you should spend a little time with the economists and econ historians who've been working on these ideas for decades.
I recommend:
・ Power and Prosperity by Mancur Olson
・Structure and Change in Economic History by Douglass North
・A Theory of the State by Yoram Barzel
・Of Rule and Revenue by Margaret Levi
・Organization Theory by Oliver Williamson
as well as the most recent work -- not yet in book form -- by North, Wallis and Weingast
もし国家について、「限定的な暴力独占を持つ組織」として、あるいは「契約の集積体」として語るつもりなら、こうしたアイデアに何十年も取り組んできた経済学者や経済史家たちの研究に、少し時間を割くべきだ。
私のお勧めは次の通り。
・Power and Prosperity(Mancur Olson)
・Structure and Change in Economic History(Douglass North)
・A Theory of the State(Yoram Barzel)
・Of Rule and Revenue(Margaret Levi)
・Organization Theory(Oliver Williamson)
それに加えて、まだ書籍化されていない最新の研究として、Douglass North、John Wallis、Barry Weingast の共同研究もある。
Nick Szabo:
Yoram Barzel is one of the most important economists of the last half century, but few people know this. Along with the much more famous Friedrich Hayek, Barzel is probably the economist who has influenced me the most. He has had a number of important insights related to transaction costs which I've confirmed repeatedly in my own observations and readings in economic history.
Yoram Barzel は、この半世紀における最も重要な経済学者の一人だが、そのことを知っている人はほとんどいない。
はるかによく知られている Friedrich Hayek と並んで、バーゼルはおそらく私に最も大きな影響を与えた経済学者である。
彼は取引費用に関していくつもの重要な洞察を示しており、私はそれらを、自分自身の観察や経済史の読書を通じて何度も確認してきた。
Structure and Change in Economic History by Douglass North
A Theory of the State by Yoram Barzel
Of Rule and Revenue by Margaret Levi
は国家を、税収による利潤の最大化を行うものとしてモデル化しているらしい。
Patri Friedman (2009) "Beyond Folk Activism"
(Mencius engages in constant hyperbole, so have your salt-shaker handy)
(メンシウスはいっつも誇張に励んでいるので、眉につける用のつばを用意しておくこと。)
ニック・スザボが中世から得た政治的所有権(商人、教会、領主が持った裁判権など)という概念は、本人が言うように、モールドバグのフォーマリズム理論とかなり類縁性があるが、Szaboは (ヤーヴィンのような) 権力を集中する手段としてではなく、権力を制限する手段として政治的所有権を評価しているようだ。 Szabo: It is not well understood by Romanist moderns that monarchy was based, not primarily on Burkean romantic worship or the divine right of kings, but rather on the political property rights of an individual and his heirs.
The laws of inheritance for a monarch were usually the same as those for land.
Szabo: ローマ法に影響を強く受けた現代人に理解されない点として、君主制がエドマンド・バーク風のロマンチックな崇拝や王権神授説に基づくのではなくむしろ主に、個人とその子孫が持つ政治的な所有権に基づくという事実がある。君主相続の法は、ふつう土地相続の法と同じものだった。
ヤーヴィンが、
私〔ヤーヴィン〕は、〔自分の〕UR〔Unqualified Reservations〕をニック・スザボのブログ Unenumerated のひどい模造品だと考えている。 主な違いは、私の方が多く投稿することと、ニックの方は自分が話していることについて分かっていることだ。
と、書いていたので、紹介した。
Readers who find all this political theory interesting—perhaps there are four or five—may enjoy some of the debates I’ve been having with Nick Szabo in the comments of these posts. It’s always a pleasure to cross swords with a master, even when all you get is a ghastly facial wound.
こうした政治理論に面白さを感じる読者――たぶん4、5人くらいしかいないだろうけれど――は、これらの記事のコメント欄で私が Nick Szabo と交わしている議論を楽しめるかもしれない。
(A short course in actual Saxon history, such as that linked above, cannot come too soon for many libertarians, who throughout the history of English legal theory have been overfond of construing the medieval world as a paradise of ordered liberty. Indeed we inherit many elegant constructs from medieval law. And one reason they are so elegant is that they had to operate in such a brutal environment of pervasive violence.) (上でリンクしたような、実際のサクソン史についての簡潔な講義は、多くのリバタリアンにとって一刻も早く必要だろう。というのも彼らは、イングランド法思想の歴史を通じて、中世世界を「秩序ある自由の楽園」として解釈したがる傾向が強すぎたからだ。
実際、私たちは中世法から多くの洗練された法的構成物を受け継いでいる。
そして、それらがこれほど洗練されている理由の一つは、広範に暴力が行き渡った、あれほど苛烈な環境の中で機能しなければならなかったからである。)
ヤーヴィン以後の類似した思想