「新反動主義」Part. 4: 先駆・影響
被影響(ヤーヴィンに影響を与えたもの)
Hoppeも (ホップの方がヤーヴィンより先)、(被統治者の所有権をどちらがより保証するかという観点から) 民主制より君主制の方が良いと結論した
ハンス・ハーマン・ホップはリバタリアンだが、自由至上主義というより私有財産権至上主義という方がイメージとして近いと思う。特定の意見を持つ人を、土地の所有者が物理的に排除してもいいとか言ってるし。
全体的にいい加減な記事な感じがする
ヤーヴィンの考えのようにして言っているものの、ヤーヴィンの考えとは異なる考えが紹介されているように見える。「…この人〔= ヤーヴィン〕は2007年ごろからUnqualified Reservationsというブログで新反動主義についてやたらと長い記事をいっぱい書いた人で、正直私にしても全ては読み切れていないのだが、まあ上で書いたようなことが延々と述べられているのである。」というのは (太線部分が) 間違いだと思う。
ヤーヴィンの考えはリバタリアニズムを壊して組み立て直した変な異形のもののという感じはするけれど、mhatta氏が言うのと違って、(別にmhatta氏がヤーヴィンに直接帰属しているわけではないけれど) 能力差別みたいな話はあまりしてない気がする。
ayu-mushi.iconこの記事では南アフリカにおいてIQによって選挙権を制限するほうが現状より良いと言っているけど、格差への影響を考慮するとIQによって選挙権を制限した上で人種や所得集団ごとに票の重みを人口全体に対する比によって調整したほうがいいのでは (ジェイソン・ブレナンが(IQじゃないけど)そういうことを言っていたと思う)
でもヤーヴィンの政府の話は主には、無能が支配してるのが悪いってよりはインセンティブが噛み合ってないのが悪いって話だからね。むしろ彼は現状はテクノクラシー的であって知能的には優れた人間が支配してると思ってて、それでも現状には問題があると主張してる。あんま能力主義のイメージじゃないかな。
リンクを思い出せないけど、「人種間の生物学的な違いの認識 (Human BioDiversity) によって南北戦争の解釈は変わらなければならない」みたいなことを言っていたことがあった気がする
And, of course, its meatpuppets overseas. One of which is Maine’s own country. In the century after Great Britain committed herself to unlimited democracy, she lost her Empire; became an American puppet state, now with a humiliating intermediate overseer in Brussels; experienced a 5000% increase in her crime rate; and was effectively colonized by the debased, para-human dregs of her own former dominions. What else could go right? (強調は引用者)
とか言ってるので、移民差別者のような気がするし、ある種の人種差別主義者ではありそうか。
ヤーヴィンに大きな影響を与えたリバタリアンのマレー・ロスバードも、一時期は新左翼と戦略的に連携し、Black Panthersなどの過激な黒人解放運動を支持していたものの、あとにpaleoconservativeと連携していた時期には、元KKKの候補 David Duke を支持したりしていたらしい。
公民権運動時代に分離主義的な黒人運動を支持していたのも、白人と黒人の分離自体が目的だったのではないかと言われたりしてる (公民権運動時代、白人の分離主義者と黒人の分離主義者は共闘していたこともあったらしい)。
Hans-Hermann Hoppeも、白人ナショナリストとつるんでいるっぽい。
The role of libertarianism in all this is interesting, and I think the meaning framework can help us understand something that has always been a mystery to me. More respectable libertarians are often weirded out by those who claim the same label but sometimes say nice things about slavery or Vladimir Putin, which seems inconsistent with having a worldview oriented around the importance of individual liberty. I suspect that this is because libertarianism in its purest form can’t win a large audience since it doesn’t offer an enemy. The crowd that used to be called paleo-libertarians or those who have bought into Trumpism have a narrative to tell in which the American global empire is the enemy, so all of its opponents throughout history, from the Confederacy to Nazis to contemporary foreign adversaries like Putin, are misunderstood or even heroic.
つまり、統計的差別を肯定してるわけじゃない (少なくともこの記事から見る限りでは。南北戦争がどうこうの話は統計的差別 (??) かもしれないけど。)
mhatta氏"結局白人やアジア人よりも黒人やヒスパニックは知能が低いから差別されて当然みたいな遺伝学もどきの優生思想に落ち込んでしまう"というのは、少なくともこの記事の主張からすると違う。(mhatta氏が直接ヤーヴィンに帰属しているわけではないけれど)
移民を人種に基づいて選別する必要もない、と言っている。
"The policy solution here is obvious: eliminate the race industry, abolish all racial privileges, including laws against “harassment” and “discrimination,” and restore unconditional freedom of speech and freedom of association. "とあるので、雇用者の判断に基づく雇用差別とかが政府によって違法にされるべきではないとも考えているとは思う
これは雇用を自由な契約とみなすリバタリアンに標準的な考えだけど。バリー・ゴールドウォーターのように、リバタリアンは公民権法が民間に適用されることに対し反対してきた。
人種によるIQ差を重要視してる主な理由は、人種間の格差の原因が差別や環境要因でないなら、差別是正のための政策や、ギャップを縮めるための社会的・政策的努力は正当性がない/無駄みたいな理由では (「差別で生じた差を是正するためなら良くても、他の原因で生じた差異を是正しようとするのは、単に優遇することでしかなく、良くない」的な感じか)。統計的差別を肯定してるわけでもないし。(たとえばNathan Cofnasとかはギャップの存在の原因が差別かという論争に重要だから人種によるIQ差が重要だって言ってる) (ヤーヴィンがそういうことを言いたいのかは必ずしも明確ではないけど、このような立場を支持しているJohn Derbyshireの記事に肯定的に言及してるのは見たことがある: "Race and Conservatism > John Derbyshire" ) It’s interesting to see how easy (and prudent) it is to fear the political implications of HBD. If HBD is an evil lie, as the government requires everyone to believe, “affirmative action” is one thing. If HBD is true, it is quite another.
Not that I give a rat’s ass about “affirmative action.” By the standards of 20th-century criminal government, it is not really all that criminal. The sad thing is that, if you are unwilling to examine the political consequences of HBD, there is no way to get past the mere present and understand the historical consequences.
アメリカだと、雇用差別の禁止、ハラスメント規制、アファーマティブアクションはすべて公民権法とその最高裁判所による解釈 (disparate impact) を根拠にしてるっぽい
ヤーヴィンのアファーマティブアクションについての考えは、政府が雇用に介入するのはfreedom of associationに反するというリバタリアン的な関心が前面にあり、"アファーマティブアクションは能力の低い人を採用してしまうから悪い" という能力主義的関心とは異なる気がする。
(リバタリアンはなぜかこういう文脈でfreedom of associationって言ってる人が多いけど、これって契約の自由じゃないの。どっちでもいいか。一般的には、freedom of associationが営利企業に適用されるのかには議論の余地があるようだけど。)
「たとえば中国料理店が中国人だけ雇って何が悪い」みたいなことを言っていて、あんま能力の話してないので
再分配の否定についても、ヤーヴィンのフォーマリズムにおいては、財産の分配について争いが生じること自体を問題にしているのであって、再分配によって能力と所得が対応しなくなるといった理由ではない。
(ヤーヴィンのネオカメラリズムにおいても、株主へ税収が分配されるので、ある意味で再分配は起こる、とも言える。)
まあfreedom of associationをアプリオリに認めるなら、仮にギャップの原因が差別であったとしても、雇用契約に政府が介入することは認められないので、そもそもギャップの原因がなにかについて論じる必要はないけれど。
リバタリアンの中には、能力主義を擁護する意見 (ブライアン・カプラン) と、反対する意見 (ハイエクとか) とがある。能力主義を擁護するカプランの意見:
mhatta氏が言及している自然秩序(natural order)というのはホップの用語だ。
政府の代わりに、保険会社が犯罪からの警備を行う。
ホップが言ってる natural aristocracy というのは家柄より実力を認められた人のようなので、メリトクラシーに近そう
世襲にもそんなに否定的ではなさそうな雰囲気だけど
"宗教や伝統を排して経済的自由と個人的自由を追求するのがリバタリアニズムだが、民主主義は宗教やらと同様衆愚による自由追求への制約と見なされるわけである。"とmhatta氏は言っているけれど、Lew Rockwell などキリスト教徒・伝統主義のリバタリアン (paleolibertarian 系) もそれなりにいる気がするし、ハンス・ハーマン・ホップやカーティス・ヤーヴィンが基づいているのはそういう paleolibertarian 系ですよねっていう。まあヤーヴィン自身は無神論者だけど。
(ところでイスラム教徒の paleolibertarian とかはいるのかな?) (利子を禁止したりするので無理なのでは) (そもそも政教分離が)
カトリックも利子禁止してたけどね
ホップは封建制を高く評価しているのに対し、ヤーヴィンは絶対王政を高く評価してる。
絶対王政は近世だから、(mhatta氏が言うのと違って) ヤーヴィンは中世に戻ろうとしている感じではない。
中世の封建制に戻ろうとしてるのは、Michael Anissimov やハンス・ホップだ。
まあパッチワークは地方分権的だから中世っぽくもあるかも?
――― ハーバーマスは、あなたの思考に、どんな肯定的な影響を持ちましたか?
彼から悪い影響もありますか?
Hans-Hermann Hoppe
ハーバーマスは、1968年から1974年まで、ドイツのゲーテ大学フランクフルト・アム・マインで、
私が勉強中に、私の主要な哲学の教師であり、Ph.D.アドバイザーでした。
彼のセミナーを通して、私は、英国とアメリカの分析哲学に精通するようになりました。
K. ポパー、P. ファイヤアーベント、L. ウィトゲンシュタイン、
G. ライル、J.L. オースティン、J. サール、W.v.O. クワイン、
H. パトナム、N. チョムスキー、J. ピアジェを読みました。
ポール・ローレンツェンとエルランゲン学派、そして、K.O. アペルの著作を発見しました。
私は、それは、かなり良い知的訓練だったと、いまも信じています。
個人的にであれば、私は、後悔していません。
しかし、ドイツとドイツの世論に対するハーバーマスの影響に関しては、
それは、少なくとも、リバタリアニズムの観点からは、紛れもない災難でした。
ハーバーマスは、こんにちのドイツの最も名高い公的知識人であり、
「政治的正しさ」の大司祭です。
社会民主制と福祉-国家統制主義の。
多文化主義の。
反差別(アファーマティブ・アクション)の。
特にドイツ人消費向けの、多量の「反ファシスト」のレトリックと、
ハーバーマスとカール・オットー・アーペルに影響を受けたリバタリアニズムの討議倫理学的正当化とかもしてるっぽい
所有者が差別するのは、彼の共同体における高い度合いの行為の同質性を獲得するためです。
それで、共同体内の緊張と争いを避けるか減らすためです。
経済学用語では、取引コストを減らすためです。
彼の決定が、彼の財産と共同体にとって良いと期待して、彼は、そうするのです。
領土財になるためには (値段を払わない場合に) 排除可能じゃなきゃいけないしね
https://www.youtube.com/watch?v=TICdCM4j7x8
上の動画の聞き取りが正しければ、ホップはヤーヴィンを個人的に知っている?
https://www.youtube.com/watch?v=vG6E9L8eaGo&t=181s
以下にヤーヴィンに参照されている思想家をあげたけど、ちょっと読んだ感じだと、あまり実りがなかった。
ヤーヴィンは、以下の、王政主義者で反動主義者を自認するErik von Kuehnelt-Leddihnなどを彼のフォーマリズムの先駆としてあげている
After insisting that the demand for liberty is about how to govern and by no means by whom to govern a given country, he draws arguments for his view that monarchical government is genuinely more liberal in this sense, but democracy naturally advocates for equality, even by enforcement, and thus becomes anti-liberal.
自由が要求するのは国をどう統治するかであって誰が統治するかなどではないと言った後、かれは君主制の政府はこの意味で自由主義的であるが、民主制では自然に――強制によってでも――平等を唱え、自由でなくなる、という彼の主張への議論を示した。
ベルトラン・ド・ジュヴネル『権力論』
モスカ、ミヒェルズ、パレートなどのイタリアエリート論者の紹介
バーナムは現代アメリカ保守主義運動の初期の人物
. I happen to own a copy of James Burnham’s The Managerial Revolution, a now-forgotten 1941 book that was for a time hugely influential. It purported to see the rise of both communism and fascism as part of the inevitable replacement of capitalism by a more efficient “managerial” state. Burnham did not attack free market economies; he simply regarded them as doomed, and those who thought otherwise as naive:
@RichardHanania: I also discuss the books I've read. I finally read James Burnham and found him very overrated. I guess because he talked about a "managerial elite" and now we have a bunch of bureaucrats in suits, he predicted the future? His predictions and analysis were wrong though. https://pbs.twimg.com/media/FkHlFQJVQAAaoc7.png
To understand the American administrative state, it’s better to read a textbook used by law students today than Aristotle or even Burnham (please don’t get me started on the uselessness of Burnham).
バーナムはもともとトロツキストのマルクス主義者だったが、ソビエトにおける共産主義革命は労働者による政権ではなく、経営者 manager, managerial elite による統治に向かっていると考えた。そして、フランクリン・ルーズベルトのニューディール政策もこれと同じく ブルジョア資本主義から manager による統治への移行を進めるものと考えた。
(株式会社における所有と経営の分離により、従来の資本家階級とは異なる経営者階級が現れた? 経営者は従来の資本家と違って政府介入に好意的? 本当? managerは文字通りの会社の経営者だけでなく、政府の公務員なども含むっぽい。)
自然権や個人主義といった資本家支配階級の政治的・経済的利益を正当化するイデオロギーに代わり、manager の支配を正当化するイデオロギーとして20世紀のレーニン・スターリン主義、ファシズム、アメリカにおいてはテクノクラシーとニューディール主義が台頭したと考えた。(ここまではManagerial Revolution)
バーナムはイタリア・エリート学派のガエターノ・モスカからエリートの支配を正当化する political formula という概念を取り入れ、それがヤーヴィンにも影響しているが、バーナムはもともとマルクス主義者なので、マルクスのイデオロギー論とも関係するかも? (Machiavellian)
A doctrine that was common to most of the Machiavellians and which Burnham emphasized was the concept of what Mosca called the "political formula," Pareto called "derivations," and Sorel called "myths." According to these writers, elites do not hold power simply through force and intimidation. They formulate doctrines that rationalize or justify their control in logical, moral, theological, or philosophical terms.
In fact, what we are often confronted with today is nothing less than a potential legal war of all against all, carried on by way of legislation and representation.
Leoniの考えは、ヤーヴィンの、メディアによる世論のコンセンサス化がない民主主義は内戦、限定戦争であるという見方に影響してそう?
Old Right (旧右派)、リバタリアン、ヘンリ・ジョージ主義 (全ての税を地税に一括) 者
アルバート・ジェイ・ノックは、以下のフランツ・オッペンハイマーの国家論を継承した
ノックはニューディールに反対したOld Rightの人間ではあるものの、ロックの労働所有権論とマルクスの労働価値説の中間みたいな何かを主張しており、規範的側面においてはヤーヴィンとは対立してそう
国家や所有の本性に関する事実認識的な部分においては合致しているのかもしれない
具体的には、それなりに多くの財産権が国家によって与えられているものに過ぎず、本当に「己の労働を混ぜて」得たものではないから、不当であると主張している (Nock Our Enemy, State)
オッペンハイマーの国家論は、国家が税収を得るという経済的側面に注目する点でヤーヴィンに近いけれど
しかし、チラ見したところでは上に挙げられている人物の著作の中にフォーマリズムの先駆といえそうなものは見いだせなかった。むしろ、ハンス・ハーマン・ホップのほうがフォーマリズムの真のアイデア元なのではないだろうか (なぜホップの名が、参考にした人物にあがっていないのかが不思議です。コメント欄では言及しているのだけども)。
これは a formalist manifest で、法形式主義のリンクで挙げているもの
上のノックに影響を与えた人物
2つの階級: 〈正味の税消費者 "net tax-consumers" /正味の納税者 "net tax-payers"〉
オーストリア学派経済学者のリバタリアン。リバタリアン運動の中心的人物とされる
主流派経済学への批判、連邦準備制度 (アメリカの中央銀行) への批判、金本位制の擁護、外交における孤立主義などヤーヴィンの立場に強い影響を与えていると思われる
アメリカにおける福祉国家の拡大は "後千年王国的敬虔主義" (post-millennial pietism) の影響であると主張し、ヤーヴィンに影響を与えた
無政府資本主義を提唱したが、地主がルールを決めることを認めているため、ロスバードの無政府資本主義は、デイヴィッド・フリードマンの保護協会と契約するタイプの無政府資本主義よりもネオカメラリズムに近いかもしれない
イタリアエリート理論を援用しているようで、これはヤーヴィンが重視するジェームズ・バーナムと共通する
ロスバードは晩年、paleoconservatismと戦略的に連携していた。ヤーヴィンも外交における孤立主義や、移民に対する反対など、paleoconservative と共通するところがありそう?
The unremitting determination of its assaults on common sense is no accident, for as Mencken vividly maintained:
"…It is apprehended, not as a committee of citizens chosen to carry on the communal business of the whole population, but as a separate and autonomous corporation, mainly devoted to exploiting the population for the benefit of its own members…"
ジョサイア・タッカー
ウォルター・リップマン
エリ・ケドゥウリー
Samuel Francis
法は主権者の命令である
デイヴィッド・ストーブ(David Stove)
一方、オーストラリアの哲学界では、ポパーさえ許さんデヴィッド・ストーブ先生などが居られる。
Scientific Irrationalism: Origins of a Postmodern Cult David C. Stove
Steve Sailer
ローティーに言及してる所、引用の仕方が不誠実では? butの後が引用されていない
To this day, most philosophers suffer from Plato’s disease: the assumption that reality fundamentally consists of abstract essences best described by words or geometry. (In truth, reality is largely a probabilistic affair best described by statistics.) Today’s postmodern philosophers deny the very existence of science, nature and truth, largely because their favourite verbal abstraction of “equality” is undermined by the brute statistical reality of human biological differences.The philosopher Richard Rorty recently informed us in Atlantic Monthly that ” ‘The homosexual,’ ‘the Negro,’ and ‘the female’ are best seen not as inevitable classifications of human beings but rather as inventions that have done more harm than good.” Therefore, according to Rorty, many deconstructionists “go on to suggest that quarks and genes probably are inventions too.” You have to be as eminent a philosopher as Rorty to believe that the category of “the female” is a mere social convention. Deconstructionism is the result of philosophers being shocked to learn that reality is not Platonic (e.g., races are no more sharply defined than are extended families) and thus deciding to give up believing in reality rather than in Platonism.
元の文と比較してみよう:
These philosophers can agree with the social constructionists that notions like "the homosexual" and "the Negro" and "the female" are best seen not as inevitable classifications of human beings but rather as inventions that have done more harm than good. But they are not sure that "X is a social construction" adds much to "talking about X is not inevitable, and there are probably better ways of talking."
"These philosophers can agree with the social constructionists that "という部分も抜けている
あと家族的類似性という概念をご存知でない? >Plato’s disease
Michael H. Hart
mtraven: Looks like just another iteration of the same old crap from people like Rushton, which has been thoroughly discredited all over the place, for instance here. here. I can’t see the point of recycling the same garbage over and over again.
アルバート・ハーシュマン
Voice or Exit
発言、離脱、忠誠
ヤーヴィンは読んでないらしいけど
本作は、白人支配から脱して次々に独立、欧米風に変化していくアフリカをとらえた「ドキュメンタリー」である。ヤコペッティは別の映画のロケのためにアフリカに赴いていたのだそうだ。ところが、折しもの独立ラッシュの動乱に巻き込まれて、衝撃的な映像の数々をものにすることができた.....というのであるが、機を見るに敏なヤコペッティが英国植民地時代終焉の予兆を見逃す筈がない。この映画のシナリオは予め想定されていたのだと思われる。「悲惨美」を追求するヤコペッティにとっては、当時のアフリカはまさに「素材の宝庫」であったわけだが、驚くべきなのは、充実した素材を前にしてヤコペッティはなおも「やらせ」を撮り続けたことである。
…
やらせの極みは「ザンジバルにおけるアラブ人の大量虐殺」であろう。
この事件が現実にあったことは確かである。しかし、今日ではこの映像がやらせであることには異論がない。
実際に本編を見ると、おかしな点が多い。虐殺を逃れて海へと逃げるアラブ人。撮影隊はその姿をヘリコプターからとらえる。しかし、次のカットはその翌日に飛んでしまう。浜辺に累々と横たわる屍体の衝撃映像。凄まじい「悲惨美」であるが、肝心の虐殺シーンは何故かとらえられていない。このことは「虐殺シーンを再現するだけの予算がなかった」ということなのだと思われる。そして、屍体からは血が一滴も流れていない。スローモーションで確認したが、本当に一滴も流れていない。「血のりを使うと後で掃除が大変」とか、いろいろな事情があるのだろう。
本作の「野蛮を撮影する文明人こそ野蛮」というモチーフは、ドキュメンタリーを装ってさまざまなヤラセを行ってきた、グァルティエロ・ヤコペッティの『世界残酷物語』などに代表されるモンド映画に対するセルフパロディともいえる。食人族 - Wikipedia トマス・カーライル
ヤーヴィンはカーライル論で日本の終身雇用制度をカーライルの奴隷制に類似したものと扱っていたけれども、日本の旧来的な会社ってカーライルの理想とする封建制に近い?
カーライルは封建制ではクビになることがないことを重視しているっぽい
先駆
元ヘンリー・ジョージ主義者。私有コミュニティと競争に基づく無政府主義的な政体を提唱。(ヒース的アナキズム)
フォーマリズム宣言のコメントにフォーマリズムに似た先行研究を紹介してる人が居た:
If you're going to talk about states as organizations with limited monopolies of force and as aggregations of contracts, you should spend a little time with the economists and econ historians who've been working on these ideas for decades.
I recommend:
・ Power and Prosperity by Mancur Olson
・Structure and Change in Economic History by Douglass North
・A Theory of the State by Yoram Barzel
・Of Rule and Revenue by Margaret Levi
・Organization Theory by Oliver Williamson
as well as the most recent work -- not yet in book form -- by North, Wallis and Weingast
Nick Szabo:
Yoram Barzel is one of the most important economists of the last half century, but few people know this. Along with the much more famous Friedrich Hayek, Barzel is probably the economist who has influenced me the most. He has had a number of important insights related to transaction costs which I've confirmed repeatedly in my own observations and readings in economic history.
Structure and Change in Economic History by Douglass NorthやA Theory of the State by Yoram Barzel、Of Rule and Revenue by Margaret Leviは国家を、税収による利潤の最大化を行うものとしてモデル化しているらしい。
ヤーヴィン以後の類似した思想
You need to hire Steve Sailer and Michael Totten〔中東などのジャーナリスト〕 and Greg Cochran〔生物学〕 and Hans-Hermann Hoppe〔オーストリア学派経済学。リバタリアン〕 and Steve McIntyre〔地球温暖化懐疑論〕 and Jeffrey Rogers Hummel〔リバタリアン。経済学・歴史。現代貨幣理論MMTを批判している〕 and Razib Khan〔人間の生物的多様性〕 and Michael Yon〔ジャーナリスト〕 and Jörg Guido Hülsmann〔オーストリア学派経済学〕. Or at least people who are at least as smart, at least as knowledgeable, and at least as expressive as the above. Patri Friedman (2009) "Beyond Folk Activism"
(Mencius engages in constant hyperbole, so have your salt-shaker handy)
(メンシウスはいっつも誇張に励んでいるので、眉につける用のつばを用意しておくこと。)
ニック・スザボが中世から得た政治的所有権(商人、教会、領主が持った裁判権など)という概念は、本人が言うように、モールドバグのフォーマリズム理論とかなり類縁性があるが、Szaboは (ヤーヴィンのような) 権力を集中する手段としてではなく、権力を制限する手段として政治的所有権を評価しているようだ。 Szabo: It is not well understood by Romanist moderns that monarchy was based, not primarily on Burkean romantic worship or the divine right of kings, but rather on the political property rights of an individual and his heirs.
The laws of inheritance for a monarch were usually the same as those for land.
Szabo: ローマ法に影響を強く受けた現代人に理解されない点として、君主制がエドマンド・バーク風のロマンチックな崇拝や王権神授説に基づくのではなくむしろ主に、個人とその子孫が持つ政治的な所有権に基づくという事実がある。君主相続の法は、ふつう土地相続の法と同じものだった。
ヤーヴィンが、
私〔ヤーヴィン〕は、〔自分の〕UR〔Unqualified Reservations〕をニック・スザボのブログ Unenumerated のひどい模造品だと考えている。 主な違いは、私の方が多く投稿することと、ニックの方は自分が話していることについて分かっていることだ。
と、書いていたので、紹介した。
(A short course in actual Saxon history, such as that linked above, cannot come too soon for many libertarians, who throughout the history of English legal theory have been overfond of construing the medieval world as a paradise of ordered liberty. Indeed we inherit many elegant constructs from medieval law. And one reason they are so elegant is that they had to operate in such a brutal environment of pervasive violence.) https://www.unqualified-reservations.org/2008/07/olxiv-rules-for-reactionaries/